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そして二人だけになったUntil Death Do Us Part(小説)
2005年05月14日 (土) 20:39 * 編集
作者 森博嗣
2005y05m14d_201410494s.jpg
原子力発電所の建設に関して、これを推進すべきか、それとも、その反対か、、
ご意見をいただきたいのですが、、、
意見はありません。勅使河原はそっけなく答えた。
それは時と場合によって、また、話す相手によっても異なります。
あるときは賛成されて、あるときは反対されるという意味でしょうか?
その通りです。
そうなると、世間からは節操がない、と批判されることになりませんか?
原子力発電は、もし、それがうまく機能していれば、
火力発電のように大気を汚さないし、水力発電のように自然破壊をしない、
とても理想的な発電方法です。現在の技術ではこれ以上のものは望めません。
このクリーンな発電システムを、長期にわたって維持・管理する事ができれば、
たとえば、自動車を全部、電気駆動にしたり、太陽電池を大量に作って
利用する事もできる。
小型エンジンによる排気ガスもかなり減らすことができるでしょう。
電気自動車を動かす電気、太陽電池を生産する電気を、火力発電で賄っていては、
大気が汚れることには変わりがない。
意味が無いのです。これが一つの事実です。
さて、一方では、原子力が、まだ完全に制御できない危険性を有している事も
否定できません。
短い歴史の中で既に幾つもの失敗があり、事故が起こりました。
安全な管理と保守、廃棄物の隔離などが、どこまで完璧に行えるものなのか、
まだよく把握されていない。これが現状です。

原子力発電所に反対する人だって、大量の電気を使っていますし、
電気で作られる製品を使って生きている。
地球の自然を守ろう、と叫んでいる一方で、クーラの利いた部屋で暮らしている。
医療にも、社会福祉にも、エネルギィが必要なのです。
もし、それらの電気を得るのに原子力を使わないのなら、
今以上の火力発電によって、大気を汚染し、環境を破壊しなくてはなりません。
もちろん、その燃料でさえ、いつかは枯渇するでしょう。
これが、現状なのです。
これらすべての事を考えに入れても、僕には、イエスかノーかの判断はできません。
たとえ、絶対安全な原子力の管理方法が確立していても、
それが五十年後にも完璧に機能している、という保証はない。
僕の生きているうちは大丈夫でも、五十年後、百年後には、
極めて致命的な問題となっているかもしれないのです。
それをですよ、、
どうして、僕が、今、少ない情報だけで、簡単に賛成だ、反対だと言えるでしょうか。
何年も何年も、大勢の研究者が、その問題にとりくでいるのです。
貴方がもし、この重要性を認識しているのなら、
メニューを選ぶように、簡単に、イエスかノーなどと、
人にきいたりはしないでしょう。
もしご関心があるのでしたら、どうか、お願いですから、答を出さないでください。



外部との連絡が絶たれた、イワユル吹雪の山荘などで起きる連続殺人を、
ミステリー愛読者達はコード型というカテゴリィで区切るらしい。
これもイワユルコード型の事件。
バルブと呼ばれる巨大なシェルター内にて、
通信機器等が壊されてしまっている状況。
一人一人の人間が殺されていく。

ミステリーにもチョットした法則が何種類かある。
「殺人が起こる為に必要な人数」 という物を知っていますか?
その空間の中に、一人の人間が居た場合、殺人は当然おこらない。(自殺?犯人はわかるね。)
二人の人間が居た場合、殺人が起こったとしても、生き残った人が必然的に犯人になる。
だから殺人は起こらない。
三人の人間が居ル状況で殺人が起こるとどうなるだろう。
しかし、生き残った2人のうち、潔白な人間は相手が犯人だと解ってしまう。
だから殺人は起こらない。
四人以上の人間が居た場合、生き残った人間同士で、犯人を絞る事ができない。
これらの事から、コード型ミステリィでは4人以上の人間が居ないと
殺人は起こらないし、3人以下になっても人が死ぬことはまず無い。
たまぁにアガサの「誰も居なくなった」みたいな話もあるけどね。
ゲームの「かまいたちの夜」でも使われる程メジャーなトリックだけど、
発表された当時は読者にかなりの驚愕を与えたらしいよ。

これらの知識を踏まえた上でこの作品の題名を見ると、
おかしいなって思うよね。(ちなみに英題の訳は 死が二人を別つまで)
最後の二人きりになってしまった。
それはつまり、主人公と犯人の二人だけ。
だからその時点で犯人が明確になってしまう。
そんなミステリィありえるんだろうか。

でも森博嗣はやってのけてくれた。
最後に生き残った二人とも、殺人は犯していない。
しかも二人は常に一緒に行動していた。

にもかかわらず最後に二人だけになってしまった

ぞっとするよね。

今まで紹介してきた森博嗣は基本的にシリーズでミステリィを書いているんだけれど、
これはシリーズに全く関わっていない珍しい作品。
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